2010年4月22日木曜日

<中国で働く>まもなくTBS放映のドラマ「記憶の海」、原作者の上海在住日本人をインタビュー(2/4)

■映像ディレクター+ギャラリーショップ運営: 松田 奈月 さん

09年、TBSと講談社が開催した「第2回ドラマ原作大賞」の受賞作である「記憶の海」が、今月22日から4夜連続でテレビドラマとして放映されることが決定した。全916本の応募作品の頂点に立った同作は今月、書籍としても出版された。その原作者は中国在住歴10年の女性で、中国ではおそらく
知らない人がいないほど有名な日本語のテレビ番組の企画者であり、ディレクターでもある松田奈月さんだ。

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■帰国を考えたときに、上海の仕事が舞い込む

学校も終わりに近づくとだんだん授業も減り、松田さんは早速実践を試みる。

「新聞広告で見つけて、中国のローカルのテレビ制作会社に働きに行ってみ
たんです。語学力も技術もないのにカメラマンになりたいという私を珍しがってもらって、とても良くしてもらったのですが、あまり仕事がなくて……。週に1回ロケがあるかないという感じで、社員は社長も含めて3人、朝は新聞読んでお茶飲んで、ビルに共同シャワーがあったので、週3回は昼休みにスタッフと一緒にシャワーを浴びて、午後は髪を乾かしながらまたお茶
飲んで、みたいな(笑)。1か月過ぎたころに、これは楽しいけど、ずっと続けても仕事ないなと(笑)」。自分のできることがあまりに少ないと感じて、その後日系の広告代理店に移るが、マーケティングや平面の仕事が中心で、映像の仕事はなかなか回ってこなかった。1年半勤めたあと、体調を崩した松田さんは、ついに帰国を決意する。

「荷物も詰めて、部屋
も引き払おうと。もう3年いるし、いいタイミングかなと思って、インターネットで日本の仕事を探したんです。中国の映像関係ないかな?と思って見ていたら、日本のテレビ番組制作会社で上海の現地ディレクターがほしいというのを見つけて。上海に面接に行き、経験はなかったのですが、やれますと言い切って(笑)。面接の後そのまま上海で部屋を探し、日本に送ろ
うと思っていた荷物をそのまま北京から上海へと送りました」。

運命の女神も彼女に味方していたに違いない。そのサイトには応募フォームにエラーがあったのか、彼女が面接を受けるまでは、彼女しか応募者がいなかったそうだ。

「上海に来たら、あまりに便利すぎてびっくりしました。北京では(当時)夜8時過ぎると何も買い物できなかったし
、治安は悪いし、道は暗い。でも上海では家の周りにコンビニが3軒もあって。安全だし」。

最初は自分のアパートをオフィス代わりにしていた。任された仕事は、関西テレビで深夜に放送していた番組「あじゃぱー」の現地スタッフ。台湾?香港?ソウル?上海からの面白ネタを、日本語を話す現地レポーターが伝えるという内容で、松田さんはそのネタ収集と
、現地映像の制作を行った。

「日本語のたどたどしい現地レポーターたちが、ゆるく面白く街のあれこれを紹介してゆく番組で、経験のなかった私も一緒に手探りで作っていた感じでした。カメラマンは中国人だったのですが、『そんなところでカメラを振る?』みたいなのも受けたみたいで(笑)日本のスタジオの司会者からつっこみがバシバシ入っていました


“朝の公園で木に抱きつく人”“羽化しかかったゆで卵”など、自分のアンテナに引っかかる面白ネタを探しながら、そのころ月の半分以上を上海の街を歩いて過ごしたのが、今でも大きな財産になっているという。

■ついにディレクターとして上海での初仕事!

1年ほどして、番組は終了を迎えた。

「それならば、上海で逆にそうい
う番組を作ってみたいなと。中国にいると、外国のそういう生きた情報を見せるような番組はなかなかないじゃないですか」。

早速企画とパイロット版を作って彼女たちはスポンサー探しを始めるが、ノウハウがなくてなかなか見つからない。上海でのパートナーが制作会社を立ち上げ、日本から上海に撮影でやってくる番組制作のコーディネーター等をして
いるうちに2004年、番組制作の話が舞い込む。それはavexが上海TV?音楽チャンネルで放送を開始したばかりだった「節奏日本?リズム?ジャパン」だった。

「当時、中国での番組制作を任せられるところを探しているというお話を聞いてテスト版を制作し、最終的に毎週放送の番組制作を受けることになりました。それまでの仕事は日本に素材を送って、仕上げ
や編集は日本任せでしたから、全ての仕上げまでを行うディレクターとしてはこれが初仕事です」。

もとはスタジオ収録で、VJがビデオクリップを紹介する形式だったが、「せっかく日本の音楽を紹介する番組だから」と、スタジオ部分を日本での外ロケに切り替えた。毎週、音楽だけでなく幅広く日本のカルチャーを紹介。そのロケで訪れた場所のひとつが
、アマチュア?アーティストの作品や作家物の雑貨を並べる、東京のとあるひと坪ショップだった。

「こんなスペースが上海にもあったらいいのに、とお店の人と話していたんですよね」。

それが数年後に、写真にあるお店として実現することになる。(取材?文/浅香来)

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引用元:http://www.oion-navi.com/

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